サラリーマンを辞めて“ホンモノ”の人生をつかみ取るために1 東電脱出へ

サラリーマンを辞めて“ホンモノ”の人生をつかみ取るために1 東電脱出へ

いつもありがとうございます。
名古屋の起業家 コンサルタント 鈴木英広です。
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今日から何回かにわけて、
私自身の生い立ちから起業するまで、そして、これからについて
すべてありのままに公開していきます。

 

こうするに至った背景は、
私のことを信じてついてきてくださる仲間たちとともに
さらに進化成長して成功していきたい、もっと会社に雇われずに生きていく輪を広げていきたい
その覚悟が決まったからです。

 

全身全霊でいきます!
よろしくお願いします!

 

【生い立ちから大学卒業まで 比べられる続ける日々】

私は両親ともに公務員で男4人兄弟の末っ子として生を受けました。
上の2人の兄とは少し歳が離れており、2歳差のすぐ上の兄と遊ぶことが多く、
また、教育熱心だった両親からはすぐ上の兄といつも比べられるという毎日でした。

 

兄が児童会委員になれば、負けじと自分も当たり前に立候補する
そんな小学生時代を過ごしました。

 

中学に入ると、3年生に兄がおり、
学年で何位というテストの成績、相対的な数値ではっきり比べられるようになりました。
私のすぐ上の兄は、他の兄にもましてダントツに優秀で
(なんと中学3年間オール5しか取ったことがないという
おそらく出身中学でもいまだに歴史に名を刻んでいるのではないでしょうか)

そのことが私には非常に辛い点でした。

 

兄の感覚からすると、学年で1位を取らないことが恥という感じで、
一方私はというと、最初のころは良くて数十番、
必死になって勉強しまくり、やっと数番という感じでした。

 

いま冷静に考えればほんとどうかと思いますが、何度か
「兄ちゃんはいいけど、お前はバカか」と兄をよく知る先生に言われたこともありました。
そして、当たり前に地元の高校に入学します。

 

幸い、兄は私より数段レベルの上の高校に入っていたため
高校内で比べられることはなくなりました。
安堵したことを覚えています。

 

しかし、1年経たず悲劇が起こります。

 

なんと、兄が現役で日本の最高学府の大学に合格してしまったのです。
焦った私の曲がったプライドは、別のところに向いていきます。

 

何も学力というところで勝負しなくてもいいのに
兄が入った大学と比べられても、何とか自分のプライドが保てる
大学を目指すようになります。
いま思えば笑い話ですが、当時の私にはわからなかったので、
本気でそうすることでなんとか自分の存在意義を保とうとしていました。

 

そして、不健全な動機から目指していた大学に浪人までして受験しましたが、
あえなく撃沈し、地元の私大に入学します。

他の2人の兄も当然のように国立大学出でしたので、
両親は自分の子供が全国的に見て無名の地元私大に入学するということ自体が許せなかったらしく、
「二浪しろ」と父親に大声で言われたことを覚えています。

 

様々な挫折のような感情が交錯しましたが、
なんとか実家から大学に通うという4年間を過ごしました。

 

大学時代にはごく限られた友人たちとは
「将来的には起業しようぜ!」
「俺社長やるから、お前専務ね」など
色々と話していましたが、
結局起業することもなく、普通に就職活動へ。
懐かしいのですが、当時はホリエモン全盛期。

 

人間って同じことを繰り返しますね。
ここで、また不健全なプライドが頭をもたげてきて、
大学名では負けても就職先では同等レベルに名を連ねる
そして、両親を黙らせるという作戦に出ました。

 

兄3人は、エリートマスコミ、国家権力、法曹界勤務です。
かなりの強敵です。

 

私が取った戦略はただひとつ。
興味があるなし自分の適性はどうでもよく、大企業のみに絞って就職活動をし、
そこから意地でも内定を取って就職すること、です。

 

そのための行動は大学入学当初からスタートしていました。
大企業の人事がいかにも好きそうな活動をして就活までの3年間を過ごし、
他の学生よりも数か月早く就職活動を開始し、
いかに就活戦線を勝ち抜くのか、面接を勝ち抜くのか
徹底的に研究しました。

 

そして、晴れて私の出身大学からはほぼ就職実績のない
東京電力から内定をもらいました。

 

そのことに、両親が飛んで喜んだのを覚えています。
私は、勝ったと思いました。

 

そして、そのまま東電に入社します。

 

しかし内定時代から違和感があり…
その違和感というのは、
大企業に就職してしまったら、
自分は勝ち組、人生一生安泰的な発想を持っている同期が多くいたということです。

 

確かにそうかもしれませんが、人生これで終わりか?
本当に安泰か?など疑問は尽きませんでした。

 

ただ、入社したら何か考え方が変わるかもと思い、
ほかに行くあてもなかったので、就職しました。
(迷惑をかけた東電の皆さんすみません。)

 

記憶が確かならば、
当時は日本最高峰の福利厚生を誇っていましたので、

独身寮は月3000円、電気代は1000円未満、
トレーニングルーム完備、
共同の檜風呂とは別に、個人の部屋にシャワーがあり、
食事は朝200円、昼250円、夜300円。
創立記念日には毎年全社員4万人にもれなく1万円を支給など
よく分からない手当がたくさんつく。
新人は1年間残業なし。

 

それでも平均的な大卒初任給よりは良い。

 

などなど、傍から見たら、最高の日々でした。
が、私には耐えられませんでした。

 

独占の公共料金ということに甘えて、
最初から自分たちの生活が保障される料金設定をしている
その恩恵にあずかっているという意識がない。
自分がとりあえず居さえすれば、
世間よりも高い給料が毎月振り込まれる。

 

この生活を1年でも続けたら、
自分はそれが当たり前なことと感じるようになって
腐ってしまうのではないか、
そう考えたら寝れなくなり、
居ても立ってもいられなくなったた私は、
入社後1か月で東電脱出計画を立てることにしました。

 

そして、2か月間の転職活動を経て、
東電をたった3か月間で退職し、
新しい会社に勤めることになったのです。

 

「石の上にも3年」や「たった数か月で何がわかるんだ」とか
様々なことを言われましたが、辞める決意は揺らぎませんでした。

 

両親と兄弟の猛反対にあったのは言うまでもありません。

 

このときが両親に反抗した、初めてだったのかもしれません。

 

こうして、私は新しいサラリーマン生活をスタートさせます。
明日は、3か月で辞めた東電のあとに入社した会社員時代のことについて書きたいと思います。

 

続く。

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“ホンモノ” の人生を掴み取れ!!
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