犠牲って言葉、めちゃ違和感
- 2018.05.08
- コラム
いつもありがとうございます。
起業家コンサルタントの鈴木英広です。
土曜日に勉強会があるのでその前に
>勉強会でこういう話が聞きたいなどリクエストいただければ
>できるだけそこにお応えしようと思います。
と投げかけたら
という内容の返信をいただきまして。
すかさず、
と返信していました。
前にもちょろっと書いたことはあるのですが
なぜか があります。
って表現しちゃう人がいるのですが、これずっとずっと
もう1度書きますが、
と。
あれ、私だけと思ったので、試しに起業家仲間にチャットして聞いてみたら
って返ってきて、ああそうですよねと。
もちろん、私から投げかけて聞いているので空気を読んで返信してくれた可能性もありますけど、おそらく本音なのでしょう。
自分の理解や言葉の使い方が間違っているのかなと、念のため
という言葉を調べてみました。
という言葉も同時にヒットしました。
仮にですが、冒頭で書いた方のように
大切なものを捧げるという部分も
というのはしてきましたけど
私の副業時代の経験から言えば、
くらいなのでしょうが、
どうでもいいとまで思っていたかはあれですけど、
ですし、 です。
当時と違っていまであればですよ、
ですが
であれば、
ではなく
となると犠牲って言葉からずれるんですよね。
いま強引に思い浮かべるとすると、
ですかね。
ただ、これも言葉の意味からすると当てはまるのでしょうが(家族が助かるのなら、自分の生命がなくなることは厭わないので)、前述した通り、
なので、やっぱり当てはまらないのかなと。
その場に立ったことがないから言い切れはしませんが。
というわけで冒頭に戻りますけど、私の中では
犠牲にする
なんです。
もっと言うと、、、
私と違って犠牲という言葉を使うのであれば、
と思いますよ。
今日はここまでー。
【一言】;
友人のメルマガを読んでいて、
という言葉が紹介されていました。
意味としては
ってことですが、まさにですよね。
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